■2003/07/19 みなさん、お久しぶりです。前回のCLIE日記からして、1年4ヶ月ぶり。その間、いくつものCLIEが発売されました。新CLIEのニュースを見るたびにウォッチしていましたが、日記化するパワーにはなりませんでした。そんなこんなで、すっかりWebの更新もしないままの日々を送っていましたが、突然CLIE日記を書こうと思ったのは理由があります。 PEG-UX50 2003年8月9日発売 おお、キーボード付き最小CLIE登場ではあーりませんか。なななんと。 いつものごとく、買いじゃああああああああ・・・・といきたいところではありますが、まさぞうの感想はまったく逆でありました。 「まさぞうの中で1つの時代が終わった」 これが正直な感想です。それを説明するには、まさぞうのPDAにおける真のニーズとデジタルグッズの使い方の進化を説明しなくてはならんのじゃ。 そもそもまさぞうがPDAに期待していたことは以下の通りであーります。
このうち、3.については、初代CLIEのころから実現されていました。PalmOS機の持つ軽快感とHotSyncによるPCとの連携の容易さは3.を実現する上で必要十分なものでした。しかしながら、1.と2.についてはずっと解消されませんでした。思いついたことをメモする。思いつきが豊富なほど1回のメモの量は相当なものになります。それを定着させるにはGraffiti入力には限界があるのじゃー。そこで求めていたのは、 キーボード でした。いくつかのCLIE日記にもキーボードネタがあります。それらはすべて1.と2.のニーズを満たすための切なる願望でした。そのためJornada680などを入手してCLIEと併用した時代もありました。しかし、求めていたのは、 One and Only だったのです。世の中で愛する女性はかみさん1人でよい(爆)。普段使うPDAも1つでよいのです。2つも3つも持ち運んで使い分けをする人も多いと思いますが、まさぞうの好みではないのであった。 キーボード付きPDAを求めるまさぞうは、1つの製品に釘付けになりました。それが、Handspring社のTreo90だった。 初代CLIEに勝るとも劣らないコンパクトさを持ちながらキーストロークも適切で、結構快適に入力可能。秋葉原で手に取ればとるほどそのキータッチにほれ込んでいきました。ついに物欲風船が爆発。唯一の懸念事項(後述)を残しながら・・・ treoは英語版なので、初めてのJ-OS。日本語入力エリアで画面がずれるのは若干ストレスを感じるものの、慣れてしまえばかなりのお気に入りPDAになっていたのであった。 treoをGetした半年ほど前に、モバイル生活を一変する画期的なグッズが発売になった。Air"Hをはじめとする、常時接続可能なPHSの登場っす。いつでもどこでも常時接続。接続と切断を繰り返して通信費の増加にドキドキしていた時代が終わりーという感じ。タイミングをみてAir"HのCEF02を購入。LOOXにつけて快適ネット生活。(その後、128Kが試したくてAH-N401Cに機種変更) こうなってくると、PDAでもネットに繋ぎたくなる。しかし日本の台所事情では、インタフェースはCF(コンパクトフラッシュ)である。CLIEのメモリスティックスロットはバックアップのためだけにしか活用されない。こんな中、ZAURUSのMI-TR1というVGA画面を持つZAURUS CRUSEの姉妹品を中古で1万5千円で購入。それなりに使えた。しかし、ここである事実に気づく。 WebのブラウズはVGAでは物足りない!! これは、この後発売になったCF採用のCLIE群や超綺麗なシステム液晶を持つLINUX ZAURUS SL-700、750、760のすべてを見送ることになるほどのインパクトがあった。ACCESS社のNet Fontでそれなりに縮小ができたとしても、普段見ているサイトでは横スクロール動作が必要になるのだ。 LOOX+Air"H と treo の生活が続く。 そこに新星のように登場したのが、これ、SigmarionIIIだ。 PDAとしてはJornadaのように大きい。CLIEシリーズのどれよりも大きい。ポケットなんかに到底入らない。それなのにぞっこん状態になったのは、以下の要素のためだ。
多くの機能は、大きな画面があってこそ成立する。特にリモートデスクトップ対応はいままでにない斬新な使い方の提案だった。PDA上で稼動するソフトウェア範囲を超えて、PC上で動くソフトウェアも操作の対象となってしまった。そう、もはやこれをPDAと呼ぶのは範疇が超えているような気がする。 苦労なく持ち運びができて、瞬時に起動・停止でき、操作性になんの不満もない「Tiny Smart PC」だ。まさぞうがPDAの旅に求めていたのは、Libretto50を愛用していた時代に感じた、「PCのテイクアウトの快適性」だったのだ。ついにLOOXも持ち運ぶ必要がなくなってしまった。かなりのレベルのOne and Onlyの完成である。 冒頭のUX50は、この、「快適性」を生み出すためのいくつかの機能を犠牲にして小さな体を誕生させた。昔からSonyは小さくすることに命を懸けてきたので当然予想されたラインナップだ。CFスロットの切捨ては、現状の日本での通信事情無視の構成だし、treoやZAURUSに遠く及ばないキーボードの感触は、「触れることの快適性」よりも「見た目の美しさ」を選択した結果にしか思えない。[CLIE0058]で感じた、CLIEの迷走は、「快適性の欠如」だったのだ。 そう感じたとき、CLIE日記の幕をきちんと閉じようという気になった。あきらかにまさぞうの追いかけるものとは違う。 小さいことがすばらしいという世界、つまり、ポケットに入る携帯性、そしてそこから生まれる機能性は、PDAではなく、今後携帯電話の進化が主役となってくるだろう。ネットにつながる手段とあの大きさですでにQVGAの画面を手に入れ、デジカメ機能がさらに充実していく中で、次に訪れるのは「情報交換可能なパーソナルDBの搭載」であると予言する。 お気に入りの店や場所、グッズなど、日常のスナップショットを、携帯デジカメやGPS機能も利用して切り取り、パーソナルDBにどんどん溜め込む。そしてそれを通信手段で交換しあうのである。「お気に入りのラーメン屋見つけたの〜、今から送るね!」などというメールメッセージとともに、ネットを使ってどんなに離れていても気軽に情報提供できる。受け取った人は自分のパーソナルDBに格納し、いつでも閲覧できるし、それをもとにさらに人に伝達することができる。まさに「口コミネットワークの携帯電話版」である。PalmOS機の「赤外線による名刺やメモデータ交換」を時空を超えて実現してしまおうというわけである。これにはすべてのキャリアのフォーマット統一が必要になる。ビジネスアイデア提供するのでみんなでやりませんか?>各キャリア殿 話がそれたが、SigmarionIIIという最強のモバイルグッズを手に入れた今、今後の物欲の追っかけは携帯電話であることは、自分の心に確認するまでもない。 SonyがCLIEでもトライしてきた「デザイン美と機能の融合」を兼ね備え、なおかつ他にスイッチングしたくないほどの居心地のよさを提供するようになり、さらにリモートデスクトップ接続のような圧倒的なパラダイムシフトを提供できたとき、また、CLIE日記を書くかもしれない。まさぞうグッズの中では、iPodやVICTORINOXのツールがそれに値する。本当にデザインのすばらしいものは、ずっと使っていたいと思うものなのである。 1999年に、初代CLIEを手にした瞬間とその時代の情熱は今も忘れない。いくつかのCLIEが我が家やってきて、いくつかは友人のところに旅立ち、唯一残ったCLIEは、かみさんにプレゼントしたもので、まさぞうがCLIE史上一番バランスがいいと思ったPEG-S30Jである。それをみる度に、歩いてきたCLIEの旅を思い出すことにしよう。 ありがとうCLIE、そして、さようなら。 まさぞうの中で1つの時代が終わったのだ。CLIE日記の終焉である。 読んでくださった方々、どうもありがとうございました。 2003年7月19日吉日 |